果実充実真実

果物園に行きました。
果物の実が余りにも可愛らしく、そしてたくましく実っている姿に感動…
こんな詩を思い出しました。



(梨:バラ科 花言葉:和やかな愛情 花の顎の基部が多肉になって果実になる果実を「梨状果」という。)

梨の木は本当だった 山羊も遠い山々も 重い木の扉も  小鳥の鳴声も

ただ私たちだけが  本当ではなかった 隠した不安  つくられた微笑

互いの幻想に憩い  好みの飲物を啜り 真実のを避けようと  とめどなく話しつづけ

死までの長い時間を  量ることができず 物から物へと  視線をさまよわせた

梨の木は本当だった  八百年前に置かれた石も その上の日差しも  一匹の蠅も
                                 谷川俊太郎



(ぶどう:ぶどう科つる性植物 花言葉:好意・信頼・陶酔・思いやり・親切 ヨーロッパから中国を経て日本に伝わった。)

沢山果物を食べました。おいしかった♪


ひまわり



ひまわり:キク科 一年草(8〜9月)
小さな花の集まりで、周りの黄色い花びらは舌状花、中央の茶色い部分が管状花(これが種になります)
花言葉「憧れ・熱情・貴方を見つめてる・光輝・崇拝」


夏の花としての代名詞と言えば「ひまわり」ですね。
漢字では「向日葵」と書くのが一般的です。「ひゅうがあおい」とも読み、他にも「迎陽花」など多くの別名を持っています。

ひまわりは「太陽を追って回る」のです。
これはひまわりの良く知られた性質ですね。と言っても、若いときだけです。茎や咲き始めの花は太陽を追って東から西に顔を回します。より多くの光を受け、より多くの養分を作る為です。

ひまわりの原産地は北アメリカです。古代インカ帝国では「太陽の花」と言われ、神殿にはひまわりの花の彫刻が彫られています。また、ルイ14世は非常にひまわりを好み、「太陽王」と呼ばれていました。今でもヴェルサイユ宮殿の門の脇にはひまわりが植えられています。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホはひまわりを愛し、ひまわりの絵を13枚も描きました。
他にもひまわりが題名につく(例えば「ひまわりの丘に…」とか「OOOのひまわり」とか…)映画・ドラマ・歌謡曲なども沢山あります。
このように、ひまわりは古く昔から、非常に人々に愛されてきた花です。

ひまわりの花の雰囲気と性質に前向きさや希望や元気と言ったようなイメージを抱く人は多いと思います。それゆえにひまわりはこんなに昔から今も変わらず愛されているのではないでしょうか。



余談になりますが、この写真のひまわりは八重咲きのひまわりです。中央まで花びらがぎっしりで、一般的なひまわりとはちょっと雰囲気が違いますよね。私はこの子を「ライオン丸」と呼んでいます。もちろん私が勝手につけた愛称ですけど *^^*


風物詩 Part2



今日は横浜で花火大会でした。
毎年、私の地元横浜では大きな花火大会が2回あります。
ひとつは横浜市主催の開港祭りの一環で行われる「横浜国際花火大会」(今年は50回目だったそうです)、そしてもうひとつが今日の「神奈川新聞 横浜花火大会」です。

本当は今日は友人と一緒に浴衣を着て、花火大会に行く予定だったのですが、不覚なことに夏風邪を引いてしまい、花火大会どころではなくなってしまいました。(今、こうやってブログを書くのが精一杯…^^;)
自業自得ですが、悔しかったので我が家の天窓から花火を撮影してみました。

あまりきれいに撮れていませんね。右下のピンボケはマリンタワーです。やはり、夜景を撮影するのは非常に難しいですね。

   




江戸風情

 

先週末、屋形船に乗ってまいりました♪

屋形船は江戸時代中期から始まり、盛んになったのは江戸後期。当時は徳川将軍や、地主さんなどお偉方がお客様や芸者衆を船に乗せ、おもてなしをしたそうです。これに屋根をつけて、20〜50人くらいを乗せ、宴会をしたのが始まりだそうです。当時はもちろんエンジン艇ではなく手漕ぎ船。

私も、本格的な屋形船に乗ったのは初めてでした。
芝浦から乗り込み、お台場の湾で停泊。屋形船の屋根の上にも上ることが出来、まるでお台場の海の真ん中で、全くの障害物無しに素敵な夜景独り占め!!!と言った感じ。
いつもとは違う角度から、お台場の夜景を満喫することが出来ました☆

ちょうど、その日は地元、横浜で花火大会が開催されていたのですが(浴衣娘がわんさか居ました…)屋形船の屋根の上から、小さくち〜ぃさく花火を見ることも出来ました。(見えると思ってなかったので、びっくりしました!)
それから、佃煮やさんが佃煮を船で売りに来たりもしました。

とても暑い日だったのですが、海に出ると驚くほど海風が気持ちく、とても涼しかったです。
こういう風情ある日本の風物詩、何時までも大切に守って生きたいものですね。



(写真がボケボケですみません…。携帯で撮ったもので^^;
あ…それから、秀ちゃん、写真提供ご協力ありがとうございました♪)


七夕



七夕は中国殷の時代に始まり、周の頃、日本に伝わったとされています。その頃日本は弥生時代です。旧暦7月7日の夜「七夕 なぬかのよ」と書いて「たなばた」と読むように(当て字ですが)なったのですが、本来は「棚機(たなはた)」たっだそうです。初の七夕宮中行事を行ったのは、楊貴妃と玄宗天皇であったと言われてます。また、日本では持統天皇が七夕を行っていたようなのですが、これは実は天武天皇の供養だったとか??(確かな情報が得られませんでした ><;)

七夕の主人公である織姫は「こと座のベガ」、牽牛(ひこ星)は「わし座のアルタイル」であることは有名ですね。
では何故この星だったのでしょうか?
昔、天の中心である北極星は、現在のこぐま座ポーラスターではなく、この「こと座のベガ」だったそうです。天地創造とは、「巨木が生まれ、全てはこの木の下から生まれ、その全ての秩序をもこの木の下で作られている」と信じられていた頃で、これを「世界樹(宇宙樹)信仰」と呼びました。
(現在この信仰は北欧のユグドラシル、中国の扶桑、日本では若木迎えや御柱祭などで受け継がれています。)
地上と北極星を結ぶ軸、これが世界樹であり、この頂点にベガはあったのです。ベガが織姫となったのは、「世界の全ての秩序を織り成している」と言う意味からだったのでしょう。周の時代に北極星はこぐま座に変わり、ベガは西母王と呼ばれるようになりました。そしてちょうど天の川を挟んで対極に同じくらいに光るアルタイルが東王父=彦星と呼ばれることになったそうです。

さて、笹の葉に願い事を書いた短冊をお供えする、と言うのは弥生時代からあったのですが、その頃は恋愛のお願い事ではなく、男性は和歌の上達を、女性は裁縫の上達を願ったそうです。当時、七夕は「恋人同士の日」ではなく「勉学や仕事の上達を願う日」だったのです。それにはこの七夕物語が由来していると思われます。

「天の国にとても機織の上手な娘が居ました。けれど彼女は毎日毎日機織ばかりしていた為、心配した神様(この娘の父親)は働き者の牽牛を紹介し、二人を結婚させました。しかし、二人は愛しあいすぎて、毎日一緒に居たい為に、全く働かなくなってしまいました。それに怒った神様は二人を天の川の西と東に離し、会えなくしました。悲しんだ織姫は毎日、天の川のほとりで号泣するので、その涙で天の川が氾濫してしまう程でした。ちょっと可哀想に思った神様は、一年のうち一日だけ二人が天の川を渡れるようにしてあげました…ただし一年間一生懸命働いたら、という条件つきで。」

これが一番有名な七夕の物語です。(他にも色々な説はあるのですが)これは「ちゃんと働かないと、愛する人と一緒に居ることが出来なくなるぞ!」という戒めのお話です。だから、昔は勉学や仕事の上達を願って、短冊を書いていたのですね。
しかし何時しか「七夕物語」は許されない悲恋の物語として浸透し、七夕は恋人たちの日になりました。

「天漢 梶音聞 孫星与織女 今夕相霜」
あまのがわ かじおときこゆ ひこぼしとたなばたつめと こよいあふらう…

七夕を歌った漢詩です。
遠くに離れて暮らしている大切な人…なかなか会いに帰ってあげられないご両親に、忙しくて会えない友人に、遠くに離れている恋人に…たまには手紙を書いたり電話をしてみたらどうでしょうか。仕事でなかなか会いにいけない大切なひとに。
離れていて会えなくても、一年間、一生懸命働いてきたのですから(でしょ?)




天の川の上がこと座ベガ、下がわし座アルタイル。
アルタイルを挟んでいる小さい星は息子星と娘星といわれている。






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